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[特別賞]若泉 謙太/慶應義塾大学医学部

Kenta Wakaizumi, M.D., Ph.D.

[分野5:イリノイ]
(慢性腰痛患者に対する長期オピオイド使用の影響に関する網羅的アセスメント)
Pain and Therapy, 12 April 2021

概要
米国ではオピオイド・クライシスが深刻な社会問題となっており、オピオイドの不適切使用により亡くなる人は年々増え続けている。鎮痛薬として処方されるオピオイドは乱用に至るきっかけであり、慢性痛はオピオイドの長期処方が起こりやすい疾患であるが、長期処方のもたらす影響に関しては十分に研究されていない。そこで、本研究では慢性腰痛患者を対象とし、オピオイド長期使用の影響を多面的に検討した。
オピオイドを1年以上使用している慢性腰痛患者29人と、年齢、性別、疼痛強度、痛みの有症期間を適合させたオピオイド使用歴のない慢性腰痛患者29人を対象とし、質問票を用いて痛みの性状、心理、情動、身体機能などについて網羅的に評価した。痛みの強さ、部位、有症期間を適合させることにより、オピオイド長期利用の有無の違いが痛みの影響を受けないように調整した。両群で認知機能、運動機能、および内受容感覚に統計学的有差はなかったが、オピオイド使用者では陰性感情が有意に高く(p < 0.001)、身体活動度が有意に低かった(p < 0.001)。
また、MRIによるT1強調画像を用いて、脳の灰白質に関して検討したところ、オピオイド使用者では背側傍帯状皮質の灰白質濃度が有意に低下しており(FEW-p < 0.05)、灰白質濃度の低下は陰性感情の強さと相関していた(p = 0.03)。さらに、オピオイド使用者では左前海馬支脚(presubiculum)の体積が有意に小さかった(p < 0.001)。
脳神経や心理、情動、身体機能などは痛みによる影響も受けるが、本研究では痛みの影響を調整しても、慢性痛に対するオピオイドの長期利用が背側傍帯状皮質の体積低下を伴って、陰性感情や機能障害を引き起こす可能性が示唆された。2020年、オピオイドの過量投与による米国の死亡者数は、2019年より約2万人増え、約7万人へと増加した。新型コロナウイルス感染拡大に伴う社会生活の不安定性が主要な要因と考えられるが、その背景として、オピオイド長期使用による中枢神経系の可塑的変化と陰性感情の拡大が、オピオイドの過量投与に関連した可能性がある。本研究成果は、慢性痛に対するオピオイドの長期利用に改めて警鐘を鳴らすものと考えられる。

受賞者のコメント
このような素晴らしい賞をいただくことができ、とても光栄に存じます。日本から留学し、世界の一流の研究室で研究に従事している方がたくさんいらっしゃる中で、私の臨床研究を目にとめていただいたことを、純粋に嬉しく思います。受賞した論文は、3年間の留学期間中の最後の年である2020年に執筆した論文で、2021年になってから医学雑誌に受理されました。ご存知の通り、2020年はCOVID-19が世界的に流行し、研究環境がそれまでと大きく異なった年でした。私の研究はオピオイド使用中の慢性痛患者さんを対象としておりましたので、COVID-19流行後は被験者が病院に来ることができず、新しいデータを収集することが困難になりました。しばらく経って、対面での接触が少ない基礎研究は細々と再開されたものの、我々のような患者をリクルートしての臨床研究は、私が帰国するまで、ついに再開されることはありませんでした。なんとかそれまでのデータをかき集め、形にしたのが、受賞に至った論文です。データ収集業務が減った一方で、データ解析と論文執筆にほとんどの時間を費やすことができ、これまでと異なる困難な状況下でも自分なりのレジリエンスを発揮し、社会的に意義ある成果を出すことができました。研究を支えてくれた研究室の仲間やボス、協力していただいた患者の皆様に、この場を借りて、改めてお礼を申し上げます。

審査員のコメント
佐田亜衣子 先生:
痛みの制御におけるオピオイド使用の影響といった医学的・社会的課題に対して新たな知見をもたらす重要な臨床研究である。特に臨床データとMRIを用いた脳画像解析を組み合わせたアプローチは独自性が高い。若泉氏は痛み医療に関する研究に精通し、今後ますますの活躍が期待される。

山田かおり 先生:
慢性腰痛患者へのオピオイド処方による影響を多数のパラメーターで解析したケーススタディである。ネガティブな気持ち、運動性、痛覚障害、認知や運動能力、性格の様々なパラメーターを解析している。オピオイドを処方された患者のネガティブな感情と灰白質濃度の低下が結び付けられており、興味深い。

エピソード
私には、留学中に達成したい3つの目標がありました。1つ目は、MRIを主体とした脳画像研究の手法を会得すること、2つ目は、データ駆動型の研究手法を学ぶこと、そして、3つ目はオピオイドの臨床研究をすることでした。受賞に至った論文は、まさにその集大成とも言える論文で、3つの目標すべてを統合した成果となりました。私は慢性痛の臨床的問題を解決するために研究をおこなっていますが、これら3つの目標は、当時の日本では達成することが難しい状況で、留学という選択肢は私にとっては必然的なものでした。留学前、私は医師として、慢性痛患者を対象とした臨床(ペインクリニック)に従事しておりましたが、従来の手法ではどうしても治療できない患者がいることを実感していました。そうした臨床医学の限界からくる強いモチベーションが、留学での明確な目標設定につながったのだと思います。私の拙い英語表現でも、そうした熱意は周囲に伝わり、結果として様々プロジェクトを任してもらうことができました。留学を目指すにあたって、社会的な問題点を意識し、何を留学の目標とするのかを明確にしておくことは、非常に重要であると考えます。今回受賞に至ったUJA論文賞は、留学先で学術的な成果を出そうとする日本人研究者の励みになる賞であり、これからも多くの方が受賞されることを期待しております。

1)研究者を目指したきっかけ
もともと、いろいろなことに疑問を持って考えることは好きでした。生命科学は神秘の科学で、その研究をやってみたいという思いは、大学進学の頃から漠然といだいていました。医師として臨床医学の限界を知ることで、研究者を目指す志はより大きくなったように思います。目の前のことに真剣に取り組み、常に疑問をもって考え続けることで、自然と人生でやり遂げたい道筋は決まってくるように思います。私の場合は、それが「痛みの脳科学」でした。
2)現在の専門分野に進んだ理由
大学進学時を振り返ると、現在の専門分野は、全く想像できないものでした。最初は急性期医療に興味があり、麻酔科で命を救う術を体得していきました。ひとまず生命を永らえさせるスキルが身につくと、命をまっとうしている人のQOLを高めることに興味が移っていきました。そして、それがとてもChallengingなテーマであることに気づきました。慢性痛は、間違いなく、最も健康寿命を損なっている健康問題の一つです。そして、慢性痛患者のオピオイド・クライシスは世界的に重大な社会的問題です。そこには、脳というブラックボックスの存在が見え隠れします。こんな不可解で挑戦する価値の高いテーマにたどり着くことができたのは、目の前の課題に真摯に取り組むと同時に、視野を広く持つことで、そこから派生する課題にも目を向けることができたためだと思います。
3)この研究の将来性
本研究では、オピオイドを長期に使用している慢性痛患者が、強い負の感情を抱いていることが明らかになりました。また、負の感情が強い人ほど、背側傍前帯状皮質の灰白質密度が低下していました。この脳部位は、価値判断を司る脳領域の一部であり、本研究の結果から、オピオイド使用者は慢性的な痛みに対して、オピオイドの慢性使用という短絡的な対症療法に頼っており、痛みが決して良くならないのではないか、といったネガティブな考え方に陥っている可能性が示唆されました。慢性痛治療においては、脳に働きかけるような心理療法を含めた集学的なアプローチが必要であると考えられます。
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