cheironinitiative4月8日読了時間: 7分[論文賞]小林 祥久/国立がん研究センターYoshihisa Kobayashi, M.D., Ph.D.[分野:がん分野]Silent mutations reveal therapeutic vulnerability in RAS Q61 cancers.(サイレント変異によるRAS Q61 変異がんの弱点の発見と新規治療)Nature, 01-March-2022概要 がんを引き起こす発がん遺伝子のうち最も頻度が高いのがRASファミリーと呼ばれるKRAS/NRAS/HRASで、全てのがんの2-3割を占め、米国で毎年25万人以上がRAS変異がんに罹患する。これらの遺伝子は40年前に発見されて以来最も活発に研究されてきたにも関わらず、治療薬開発が困難であった。そのような中、2021年に初めて一部のKRAS変異(G12C)に特異的な阻害剤が承認されたが、他の変異に対する承認薬はないのが現状である。 私はこれまで、主治医として担当したEGFR遺伝子変異のある肺がん患者にどのEGFR阻害剤が効くかという研究を契機に、EGFR阻害剤の薬剤耐性について研究してきた。CRISPRゲノム編集を応用して薬剤耐性細胞モデルを構築する中で、「耐性の有無で発がん性の有無を評価できる実験系」を構築した。潜在的な薬剤耐性機序としての様々なKRAS変異を評価したところ、発がん変異としての意義が確立しているKRAS Q61Kだけはなぜか耐性にならない (=発がん性がない)という、従来の定説と矛盾した結果が得られた。千個以上のシングルセルクローンで詳細な解析を繰り返したところ、やはりQ61K単独では発がん性がないことが再確認された。しかし予想外に、「サイレント変異」というアミノ酸を変化させない (=生物学的な意義が乏しく従来無視されてきた)変異がすぐ隣のコドンG60に同時に生じると、初めてQ61Kは発がん性を持つことを発見した。 さらなる解析から、実はKRAS Q61Kが生じると新たなスプライシングサイトのモチーフが形成されてしまい異常なスプライシングによってがんが自滅してしまうところを、サイレント変異を引き起こすことでそのモチーフを壊して巧妙に発がん性を維持していることを見つけた。また、KRAS Q61Kに限らずKRAS/NRAS/HRASのQ61周辺はスプライシング異常が起こりやすい脆弱な領域であり、その弱点を守るかのようにスプライシング制御因子exonic splicing enhancer (ESE)を集中させていることを発見した。そこで、それを逆手にとってRAS Q61変異配列に特異的な核酸医薬を設計し、がん細胞だけでESEを無効化して人為的に異常なスプライシングを誘導することでがんを自滅させる治療法を考案した。そして、その治療効果を細胞実験とマウス実験で示した。 本研究は、従来注目されてこなかったサイレント変異の巧妙な役割をきっかけにRASのスプライシングに関する弱点の発見に繋がったものである。Q61変異の頻度はKRASでは3番目に多くNRASとHRASでは最多であるためこれらの多くのがん患者の新たな治療につながることや、この創薬機序が他の発がん遺伝子にも応用できることが期待される。受賞者のコメント 期待と不安で一杯の気持ちでスタートしたDana-Farber Cancer Instituteでの留学生活は、特に1年目終了時点では絶望的でしたが、2年8ヶ月間の留学の集大成としての本成果をご評価いただけて嬉しいです。ご審査下さいましてありがとうございました。名誉ある本賞の受賞は、より多くの研究者・企業の方々に本研究を知っていただくきっかけとなり研究のさらなる加速が期待できますので、大変感謝しております。本賞を励みにより一層精進致します。審査員のコメント片野田 耕太 先生: 基礎研究として背景と仮説がクリアで、これまで意義が乏しいとされてきたサイレント変異が発がん過程の一部に関わることを発見し、創薬機序の可能性を提示したことは評価に値する。山田 かおり 先生: アミノ酸配列は変わらない変異 (G60G)がKRAS G61Kの薬剤耐性に関わっているという予想外でインパクトの強い発見、さらに変異体特異的なanti-sense oligonucleotideでエキソン3を欠落させて変異体KRASの発現を下げてがんの生育を阻害する、素晴らしい論文。Oligonucleotideが(一般的にvivoでのdeliveryやstabilityが難しいから仕方がないが)pre treatmentやintratumor injectionでしか効かなかったのは残念だが、そこはliposomeやEVsやなんらかの担体やmodificationでなんとかなりそうだし、十分に創薬への転用が期待される、素晴らしい研究。KRASは古くから研究されてきたけれど、彼らの研究の切り口はとても新規性があって現在のツール (CRISPRやnext generation sequencing)を活かしていてとても良い。平田 英周 先生: 近年、がん細胞が薬剤に耐性になる機序が非常に盛んに研究されています。中でもEGFR阻害薬に対する耐性成立機序の解明は、EGFRに変異を有するがん患者の数が多いことからも、がん研究において極めて重要な課題の一つです。小林氏は本研究でEGFRの下流であるKRASの変異の役割を解析し、耐性成立におけるQ61K変異の意義を解明しました。隣のコドンに変異が生じるとスプライシング異常が発生するという極めて興味深い現象で、がん生物学の観点からも重要な成果です。加えて、EGFR変異がんの新規治療戦略の策定に繋がることも期待されます。この観点を活用した他の疾患の病態解明という波及効果も期待できます。短期間でこれらの成果をあげたことからも小林氏の高い能力がうかがわれ、将来の一層の発展を期待しています。園下 将大 先生: 近年、がん細胞が薬剤に耐性になる機序が非常に盛んに研究されています。中でもEGFR阻害薬に対する耐性成立機序の解明は、EGFRに変異を有するがん患者の数が多いことからも、がん研究において極めて重要な課題の一つです。小林氏は本研究でEGFRの下流であるKRASの変異の役割を解析し、耐性成立におけるQ61K変異の意義を解明しました。隣のコドンに変異が生じるとスプライシング異常が発生するという極めて興味深い現象で、がん生物学の観点からも重要な成果です。加えて、EGFR変異がんの新規治療戦略の策定に繋がることも期待されます。この観点を活用した他の疾患の病態解明という波及効果も期待できます。短期間でこれらの成果をあげたことからも小林氏の高い能力がうかがわれ、将来の一層の発展を期待しています。エピソード1)研究者を目指したきっかけ 呼吸器外科医として肺がん患者さんの手術、化学療法、緩和医療まで幅広く従事してきた中で、手術後の再発や見つかった時にすでに進行期であらゆる治療をしても命が助からない患者さん達に対する無力感、悔しさから、標準治療で終わらせたくない、標準治療のその先につながる研究をしたいと思うようになりました。 担当患者さんに非常に稀なEGFR遺伝子変異が見つかったことをきっかけに、その患者さんの変異に効く薬を見つけるというプロジェクトを大学院 (社会人大学院生)で行いました。細胞実験モデルを作ることで有効な薬が見つかり実際にその患者さんにも効きましたが、がんはあらゆる薬に対して次第に耐性を獲得して効かなくなってしまうので、薬剤耐性研究に取り組むようになりました。 米国留学中はもちろん医師として従事する時間はなく、全ての時間を研究に費やせるので逆に何も言い訳できず、成果が出なければ全て自己責任というプレッシャーがありました。しかし、ボストンという刺激的な環境で同僚や多くの日本人研究者と苦楽を共にするうちに研究の世界に魅了され、外科医を辞めて研究者の道を歩み始めました。将来的には、研究によってより多くの患者さんの治療に貢献できることを願っています。2)現在の専門分野に進んだ理由 まずカッコイイから外科医を選びました。次に、外科医として手術だけでなく化学療法、さらには一流の研究までされていらっしゃる光冨徹哉先生のご講演に感銘を受けて、光冨先生とご一緒に働くために同じ呼吸器外科医になりました。肺がん患者さんを担当させてもらってきましたので、自然な流れで肺がんの研究に取り組んでいますが、肺がんモデルをきっかけにあらゆるがん種に共通の根源的な発見を目指しています。3)この研究の将来性 " 本研究では、生物学的にあまり注目されてこなかったサイレント変異が実は発がんに重要な役割を持つという生物学的発見から、KRAS/NRAS/HRAS Q61変異がんのpre-mRNAを標的としてスプライシング異常を誘導することでがんを自滅させるという新規治療法の開発に繋がりました。この根本的な治療コンセプトは、RAS以外の遺伝子への応用も期待されます。従来治療標的にできなかったタイプのがんへの新たな治療選択肢や、既存の治療に耐性を獲得して効かなくなったがんへの次の治療としての可能性を秘めています。 スプライシング異常を誘導するツールとしての核酸医薬は、神経・筋疾患に対する治療薬として次々と開発・保険承認され、ますます注目されています。しかし、がん治療への応用に向けた取り組みは本研究が先駆け的な存在で、まだ始まったばかりです。幸いにも、日本核酸医薬学会よりお声がけいただきまして評議員・幹事を仰せつかりましたので、がん研究と核酸医薬業界の融合によって核酸医薬の改良・薬物伝達の改善など臨床応用に向けた協力体制を進めていきたいと願っています。 それとともに、今回のような「セレンディピティによる生物学的発見と新規治療開拓」を引き続き目指していきたいです。"
Yoshihisa Kobayashi, M.D., Ph.D.[分野:がん分野]Silent mutations reveal therapeutic vulnerability in RAS Q61 cancers.(サイレント変異によるRAS Q61 変異がんの弱点の発見と新規治療)Nature, 01-March-2022概要 がんを引き起こす発がん遺伝子のうち最も頻度が高いのがRASファミリーと呼ばれるKRAS/NRAS/HRASで、全てのがんの2-3割を占め、米国で毎年25万人以上がRAS変異がんに罹患する。これらの遺伝子は40年前に発見されて以来最も活発に研究されてきたにも関わらず、治療薬開発が困難であった。そのような中、2021年に初めて一部のKRAS変異(G12C)に特異的な阻害剤が承認されたが、他の変異に対する承認薬はないのが現状である。 私はこれまで、主治医として担当したEGFR遺伝子変異のある肺がん患者にどのEGFR阻害剤が効くかという研究を契機に、EGFR阻害剤の薬剤耐性について研究してきた。CRISPRゲノム編集を応用して薬剤耐性細胞モデルを構築する中で、「耐性の有無で発がん性の有無を評価できる実験系」を構築した。潜在的な薬剤耐性機序としての様々なKRAS変異を評価したところ、発がん変異としての意義が確立しているKRAS Q61Kだけはなぜか耐性にならない (=発がん性がない)という、従来の定説と矛盾した結果が得られた。千個以上のシングルセルクローンで詳細な解析を繰り返したところ、やはりQ61K単独では発がん性がないことが再確認された。しかし予想外に、「サイレント変異」というアミノ酸を変化させない (=生物学的な意義が乏しく従来無視されてきた)変異がすぐ隣のコドンG60に同時に生じると、初めてQ61Kは発がん性を持つことを発見した。 さらなる解析から、実はKRAS Q61Kが生じると新たなスプライシングサイトのモチーフが形成されてしまい異常なスプライシングによってがんが自滅してしまうところを、サイレント変異を引き起こすことでそのモチーフを壊して巧妙に発がん性を維持していることを見つけた。また、KRAS Q61Kに限らずKRAS/NRAS/HRASのQ61周辺はスプライシング異常が起こりやすい脆弱な領域であり、その弱点を守るかのようにスプライシング制御因子exonic splicing enhancer (ESE)を集中させていることを発見した。そこで、それを逆手にとってRAS Q61変異配列に特異的な核酸医薬を設計し、がん細胞だけでESEを無効化して人為的に異常なスプライシングを誘導することでがんを自滅させる治療法を考案した。そして、その治療効果を細胞実験とマウス実験で示した。 本研究は、従来注目されてこなかったサイレント変異の巧妙な役割をきっかけにRASのスプライシングに関する弱点の発見に繋がったものである。Q61変異の頻度はKRASでは3番目に多くNRASとHRASでは最多であるためこれらの多くのがん患者の新たな治療につながることや、この創薬機序が他の発がん遺伝子にも応用できることが期待される。受賞者のコメント 期待と不安で一杯の気持ちでスタートしたDana-Farber Cancer Instituteでの留学生活は、特に1年目終了時点では絶望的でしたが、2年8ヶ月間の留学の集大成としての本成果をご評価いただけて嬉しいです。ご審査下さいましてありがとうございました。名誉ある本賞の受賞は、より多くの研究者・企業の方々に本研究を知っていただくきっかけとなり研究のさらなる加速が期待できますので、大変感謝しております。本賞を励みにより一層精進致します。審査員のコメント片野田 耕太 先生: 基礎研究として背景と仮説がクリアで、これまで意義が乏しいとされてきたサイレント変異が発がん過程の一部に関わることを発見し、創薬機序の可能性を提示したことは評価に値する。山田 かおり 先生: アミノ酸配列は変わらない変異 (G60G)がKRAS G61Kの薬剤耐性に関わっているという予想外でインパクトの強い発見、さらに変異体特異的なanti-sense oligonucleotideでエキソン3を欠落させて変異体KRASの発現を下げてがんの生育を阻害する、素晴らしい論文。Oligonucleotideが(一般的にvivoでのdeliveryやstabilityが難しいから仕方がないが)pre treatmentやintratumor injectionでしか効かなかったのは残念だが、そこはliposomeやEVsやなんらかの担体やmodificationでなんとかなりそうだし、十分に創薬への転用が期待される、素晴らしい研究。KRASは古くから研究されてきたけれど、彼らの研究の切り口はとても新規性があって現在のツール (CRISPRやnext generation sequencing)を活かしていてとても良い。平田 英周 先生: 近年、がん細胞が薬剤に耐性になる機序が非常に盛んに研究されています。中でもEGFR阻害薬に対する耐性成立機序の解明は、EGFRに変異を有するがん患者の数が多いことからも、がん研究において極めて重要な課題の一つです。小林氏は本研究でEGFRの下流であるKRASの変異の役割を解析し、耐性成立におけるQ61K変異の意義を解明しました。隣のコドンに変異が生じるとスプライシング異常が発生するという極めて興味深い現象で、がん生物学の観点からも重要な成果です。加えて、EGFR変異がんの新規治療戦略の策定に繋がることも期待されます。この観点を活用した他の疾患の病態解明という波及効果も期待できます。短期間でこれらの成果をあげたことからも小林氏の高い能力がうかがわれ、将来の一層の発展を期待しています。園下 将大 先生: 近年、がん細胞が薬剤に耐性になる機序が非常に盛んに研究されています。中でもEGFR阻害薬に対する耐性成立機序の解明は、EGFRに変異を有するがん患者の数が多いことからも、がん研究において極めて重要な課題の一つです。小林氏は本研究でEGFRの下流であるKRASの変異の役割を解析し、耐性成立におけるQ61K変異の意義を解明しました。隣のコドンに変異が生じるとスプライシング異常が発生するという極めて興味深い現象で、がん生物学の観点からも重要な成果です。加えて、EGFR変異がんの新規治療戦略の策定に繋がることも期待されます。この観点を活用した他の疾患の病態解明という波及効果も期待できます。短期間でこれらの成果をあげたことからも小林氏の高い能力がうかがわれ、将来の一層の発展を期待しています。エピソード1)研究者を目指したきっかけ 呼吸器外科医として肺がん患者さんの手術、化学療法、緩和医療まで幅広く従事してきた中で、手術後の再発や見つかった時にすでに進行期であらゆる治療をしても命が助からない患者さん達に対する無力感、悔しさから、標準治療で終わらせたくない、標準治療のその先につながる研究をしたいと思うようになりました。 担当患者さんに非常に稀なEGFR遺伝子変異が見つかったことをきっかけに、その患者さんの変異に効く薬を見つけるというプロジェクトを大学院 (社会人大学院生)で行いました。細胞実験モデルを作ることで有効な薬が見つかり実際にその患者さんにも効きましたが、がんはあらゆる薬に対して次第に耐性を獲得して効かなくなってしまうので、薬剤耐性研究に取り組むようになりました。 米国留学中はもちろん医師として従事する時間はなく、全ての時間を研究に費やせるので逆に何も言い訳できず、成果が出なければ全て自己責任というプレッシャーがありました。しかし、ボストンという刺激的な環境で同僚や多くの日本人研究者と苦楽を共にするうちに研究の世界に魅了され、外科医を辞めて研究者の道を歩み始めました。将来的には、研究によってより多くの患者さんの治療に貢献できることを願っています。2)現在の専門分野に進んだ理由 まずカッコイイから外科医を選びました。次に、外科医として手術だけでなく化学療法、さらには一流の研究までされていらっしゃる光冨徹哉先生のご講演に感銘を受けて、光冨先生とご一緒に働くために同じ呼吸器外科医になりました。肺がん患者さんを担当させてもらってきましたので、自然な流れで肺がんの研究に取り組んでいますが、肺がんモデルをきっかけにあらゆるがん種に共通の根源的な発見を目指しています。3)この研究の将来性 " 本研究では、生物学的にあまり注目されてこなかったサイレント変異が実は発がんに重要な役割を持つという生物学的発見から、KRAS/NRAS/HRAS Q61変異がんのpre-mRNAを標的としてスプライシング異常を誘導することでがんを自滅させるという新規治療法の開発に繋がりました。この根本的な治療コンセプトは、RAS以外の遺伝子への応用も期待されます。従来治療標的にできなかったタイプのがんへの新たな治療選択肢や、既存の治療に耐性を獲得して効かなくなったがんへの次の治療としての可能性を秘めています。 スプライシング異常を誘導するツールとしての核酸医薬は、神経・筋疾患に対する治療薬として次々と開発・保険承認され、ますます注目されています。しかし、がん治療への応用に向けた取り組みは本研究が先駆け的な存在で、まだ始まったばかりです。幸いにも、日本核酸医薬学会よりお声がけいただきまして評議員・幹事を仰せつかりましたので、がん研究と核酸医薬業界の融合によって核酸医薬の改良・薬物伝達の改善など臨床応用に向けた協力体制を進めていきたいと願っています。 それとともに、今回のような「セレンディピティによる生物学的発見と新規治療開拓」を引き続き目指していきたいです。"
Comments