kei1213184月13日読了時間: 5分[論文賞]梅崎 詩菜/ライス大学Utana Umezaki[分野:化学]Deconvoluting binding sites in amyloid nanofibrils using time-resolved spectroscopy時間分解分光法によるアミロイド繊維の結合部位の解明Chemical Science概要アルツハイマー病は認知症のうちのひとつであり、その治療の難しさから様々な研究が行われている。アルツハイマー病の原因は未だに解明されてはいないが、ひとつの仮説としてアミロイドカスケード仮説というものがよく知られている。これは、アミロイドβというペプチドが繊維状に凝集し、脳にその凝集体が沈着・蓄積することで記憶力の低下や人格変化などの症状が起こる、という説である。実際、2023年にFDAに承認されたアルツハイマー病の新薬は、このアミロイドβを選択的に除去し病状の進行を抑制することを目的としている。 本研究では、アルツハイマー病の新規小分子薬開発に必要なアミロイドβ繊維に対する分子相互作用の情報を得ることを目的とした。そこで実験法として着目したのが、結合分子の発光寿命測定である。発光寿命は分子の結合状態などの発光色素分子を取り巻く微環境によって変化することが知られている。この研究では、アミロイドβの繊維状凝集体に結合するルテニウム錯体の発光寿命測定を行うことで、既存研究で解明されていたアミロイドβ繊維上の結合部位に加えて新たな結合部位を発見した。 まず、ルテニウム錯体のみの発光寿命とアミロイドβ繊維存在下でのルテニウム錯体の発光寿命を比べ、アミロイドβと結合後に寿命の長い成分が現れることを発見した。この、ルテニウム錯体の発光寿命を伸ばす結合部位は、分子動力学法により、アミロイドβ の18番目のアミノ酸であるバリンから20番目のフェニルアラニンによって構成される疎水性ポケットであると示唆された。疎水性の結合部位は、定常発光測定を用いた既存研究でも報告されており、発光寿命測定でも同様の情報が得られることを確認した。それに加え、発光寿命減衰曲線を逆畳み込みすることで、ルテニウム錯体の発光寿命を保った、もう一つの結合部位があることが分かった。これは、分子動力学法で、26番目のセリンから28番目のリシンによって構成される親水性の結合部位であると示された。この2つ目の親水性の結合部位は、これまでに報告されたことがなく、発光寿命測定を行うことで初めて見られたものである。このことから、我々は発光寿命測定が分子相互作用を解明するのに非常に強力な手法であり、アミロイドβ繊維だけでなく他の生体分子にも応用できると考えている。受賞者のコメント博士課程で初めての論文にこのような評価を頂けてとても嬉しいです。ありがとうございます。審査員のコメント渡邊雄一郎 先生:本論文では,アミロイドβ繊維と発光色素との界面に働く分子間相互作用を詳細に調査している。時間分解分光法を用いることで,分子の極性部位に働く相互作用を世界に先駆けて明らかにした。ナノ秒オーダーの発光寿命解析と分子間の結合平衡シミュレーション,分子動力学計算によって多角的に調べることで,今まで定常分光法では捉えることのできなかった「繊維状の2つの相互作用の存在(疎水性相互作用と極性部位の相互作用」を示した。さらに,アミロイドβ繊維の成長反応をリアルタイムで観測することにも成功している。今後,本手法を適用することで,様々なバイオ分子間に働く相互作用を明らかにできること,そして,分子の創薬化学への可能性が大きく拓かれることが期待される。(著者らの研究は,本研究分野へ大きなインパクトを与えている。本研究内容は,英国王立化学会の一流誌Chemical Science誌に掲載されており論文誌の中表紙に選出されている。また,ライス大学内でもニュースとして大体的に取り上げられている。https://news.rice.edu/news/2023/rice-scientists-discovery-could-lead-new-alzheimers-therapies)内田昌樹 先生:アミロイドβ繊維はアルツハイマー病との関連が強く示唆されており、アミロイドβ繊維形成過程の解明や、アミロイドβ繊維を標的にした薬剤の開発を目的とした研究が活発の行われている。申請者は本論文で、ある種のルテニウム錯体をプローブ分子に用いたPhotoluminescence decay測定により、アミロイドβ繊維上に、従来知られていたルテニウム錯体結合部位に加え、もう一つ別の結合部位がある事を明らかにした。また、Photoluminescence decay測定が、アミロイドβペプチドの繊維化を早期に探知する有用な検出手法になりうることも示した。従って、本論文はアルツハイマー病発症の機序の解明と小分子治療薬設計に向けて新たな知見を与えるものであり、高く評価できる。本論文で示された二箇所のルテニウム錯体結合部位はシュミレーションによるものなので、高解像度のクライオ電顕等の手法による検証が大いに待たれる。エピソード1)研究者を目指したきっかけ小さい頃から理科や実験が好きで、大学の研究生活も楽しかったので研究を続けることにしました。2)現在の専門分野に進んだ理由私の祖母が認知症であったため、元々認知症関連の研究をしたいと思っていたことが大きな理由です。大学学部の3年生のときに、TOMODACHI STEM Programというライス大学で研究ができるプログラムに参加させていただきました。そこで、現在所属している研究室がアルツハイマー病に関係する研究を行っていることを知り、大学院でライス大学に入学し、今に至ります。3)この研究の将来性アルツハイマー病は認知症(記憶力や判断力が下がって、普段の生活が難しくなってしまう病気)の一種で、脳にゴミ(タンパク質凝集体)が溜まってしまうことがこの病気の原因だと言われています。現在、アルツハイマー病に効く薬は残念ながらほとんどありません。私の研究は、脳のゴミを標的にした薬を開発するために必要な分子の結合に関する情報を明らかにしました。実際の認知症に効く薬の開発には、まだ解明されていないことが多くありますが、私の研究結果が何らかの形で役に立つことを願っています。
Utana Umezaki[分野:化学]Deconvoluting binding sites in amyloid nanofibrils using time-resolved spectroscopy時間分解分光法によるアミロイド繊維の結合部位の解明Chemical Science概要アルツハイマー病は認知症のうちのひとつであり、その治療の難しさから様々な研究が行われている。アルツハイマー病の原因は未だに解明されてはいないが、ひとつの仮説としてアミロイドカスケード仮説というものがよく知られている。これは、アミロイドβというペプチドが繊維状に凝集し、脳にその凝集体が沈着・蓄積することで記憶力の低下や人格変化などの症状が起こる、という説である。実際、2023年にFDAに承認されたアルツハイマー病の新薬は、このアミロイドβを選択的に除去し病状の進行を抑制することを目的としている。 本研究では、アルツハイマー病の新規小分子薬開発に必要なアミロイドβ繊維に対する分子相互作用の情報を得ることを目的とした。そこで実験法として着目したのが、結合分子の発光寿命測定である。発光寿命は分子の結合状態などの発光色素分子を取り巻く微環境によって変化することが知られている。この研究では、アミロイドβの繊維状凝集体に結合するルテニウム錯体の発光寿命測定を行うことで、既存研究で解明されていたアミロイドβ繊維上の結合部位に加えて新たな結合部位を発見した。 まず、ルテニウム錯体のみの発光寿命とアミロイドβ繊維存在下でのルテニウム錯体の発光寿命を比べ、アミロイドβと結合後に寿命の長い成分が現れることを発見した。この、ルテニウム錯体の発光寿命を伸ばす結合部位は、分子動力学法により、アミロイドβ の18番目のアミノ酸であるバリンから20番目のフェニルアラニンによって構成される疎水性ポケットであると示唆された。疎水性の結合部位は、定常発光測定を用いた既存研究でも報告されており、発光寿命測定でも同様の情報が得られることを確認した。それに加え、発光寿命減衰曲線を逆畳み込みすることで、ルテニウム錯体の発光寿命を保った、もう一つの結合部位があることが分かった。これは、分子動力学法で、26番目のセリンから28番目のリシンによって構成される親水性の結合部位であると示された。この2つ目の親水性の結合部位は、これまでに報告されたことがなく、発光寿命測定を行うことで初めて見られたものである。このことから、我々は発光寿命測定が分子相互作用を解明するのに非常に強力な手法であり、アミロイドβ繊維だけでなく他の生体分子にも応用できると考えている。受賞者のコメント博士課程で初めての論文にこのような評価を頂けてとても嬉しいです。ありがとうございます。審査員のコメント渡邊雄一郎 先生:本論文では,アミロイドβ繊維と発光色素との界面に働く分子間相互作用を詳細に調査している。時間分解分光法を用いることで,分子の極性部位に働く相互作用を世界に先駆けて明らかにした。ナノ秒オーダーの発光寿命解析と分子間の結合平衡シミュレーション,分子動力学計算によって多角的に調べることで,今まで定常分光法では捉えることのできなかった「繊維状の2つの相互作用の存在(疎水性相互作用と極性部位の相互作用」を示した。さらに,アミロイドβ繊維の成長反応をリアルタイムで観測することにも成功している。今後,本手法を適用することで,様々なバイオ分子間に働く相互作用を明らかにできること,そして,分子の創薬化学への可能性が大きく拓かれることが期待される。(著者らの研究は,本研究分野へ大きなインパクトを与えている。本研究内容は,英国王立化学会の一流誌Chemical Science誌に掲載されており論文誌の中表紙に選出されている。また,ライス大学内でもニュースとして大体的に取り上げられている。https://news.rice.edu/news/2023/rice-scientists-discovery-could-lead-new-alzheimers-therapies)内田昌樹 先生:アミロイドβ繊維はアルツハイマー病との関連が強く示唆されており、アミロイドβ繊維形成過程の解明や、アミロイドβ繊維を標的にした薬剤の開発を目的とした研究が活発の行われている。申請者は本論文で、ある種のルテニウム錯体をプローブ分子に用いたPhotoluminescence decay測定により、アミロイドβ繊維上に、従来知られていたルテニウム錯体結合部位に加え、もう一つ別の結合部位がある事を明らかにした。また、Photoluminescence decay測定が、アミロイドβペプチドの繊維化を早期に探知する有用な検出手法になりうることも示した。従って、本論文はアルツハイマー病発症の機序の解明と小分子治療薬設計に向けて新たな知見を与えるものであり、高く評価できる。本論文で示された二箇所のルテニウム錯体結合部位はシュミレーションによるものなので、高解像度のクライオ電顕等の手法による検証が大いに待たれる。エピソード1)研究者を目指したきっかけ小さい頃から理科や実験が好きで、大学の研究生活も楽しかったので研究を続けることにしました。2)現在の専門分野に進んだ理由私の祖母が認知症であったため、元々認知症関連の研究をしたいと思っていたことが大きな理由です。大学学部の3年生のときに、TOMODACHI STEM Programというライス大学で研究ができるプログラムに参加させていただきました。そこで、現在所属している研究室がアルツハイマー病に関係する研究を行っていることを知り、大学院でライス大学に入学し、今に至ります。3)この研究の将来性アルツハイマー病は認知症(記憶力や判断力が下がって、普段の生活が難しくなってしまう病気)の一種で、脳にゴミ(タンパク質凝集体)が溜まってしまうことがこの病気の原因だと言われています。現在、アルツハイマー病に効く薬は残念ながらほとんどありません。私の研究は、脳のゴミを標的にした薬を開発するために必要な分子の結合に関する情報を明らかにしました。実際の認知症に効く薬の開発には、まだ解明されていないことが多くありますが、私の研究結果が何らかの形で役に立つことを願っています。
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