cheironinitiative2022年4月21日読了時間: 8分[論文賞]相田 知海/マサチューセッツ工科大学Aida Tomomi, Ph.D.[分野12:社会実装]Efficient embryonic homozygous gene conversion via RAD51-enhanced interhomolog repair (ゲノム自己修復法の開発)Cell, Jun 2021概要 ゲノム編集を用いた遺伝子治療は既に臨床試験で大きな成果を挙げ始め、昨日までの不治の病を今日には治療可能にしつつある。一方、現在のゲノム編集医療は、高効率ではあるものの標的遺伝子をランダムに破壊するノックアウト、あるいは比較的正確ではあるものの、修復テンプレートDNAを外部から導入する極めて低効率のノックインが主流であり、これらの手法で治療可能なヒトの疾患遺伝子変異は限られている。このため、様々な変異パターンに対応可能で正確かつ高効率に疾患遺伝子変異を修復する手法が求められている。 我々ヒトのゲノムは父と母から各々受け継ぐ23対の染色体から成り、多くの疾患はこのうち片方の染色体に変異を持つヘテロ型により引き起こされる。本論文において、この点に着目した筆者らは、正常な染色体を修復テンプレートとしてもう一方の染色体上の変異を修復する、外来DNA不要で超高効率のinter-homolog repair(IHR、相同染色体間組換え)によるゲノム自己修復法を開発した。マウス受精卵をモデルとした研究から、IHRが早期受精卵、特にG2後期に存在し、これによりヘテロ型の受精卵がホモ型に自己変換可能である事を明らかにした。そして相同組換え仲介分子RAD51タンパク質によりIHRを増強する事で、標的変異染色体の自己修復効率を最大100%まで高める事に成功した。さらにこのIHRを応用して任意の遺伝子型のマウスを、交配する事なくホモ型に一発変換して誕生させる事に成功した。 以上の成果は、一塩基変異から染色体異常までをカバーするゲノム自己修復遺伝子治療、免疫拒絶反応のないHLAホモ型iPS細胞バンクの構築と細胞移植治療、通常10年単位の長期間の交配を要するホモ型遺伝子改変霊長類の半年での作出、そして遺伝子耐性のない遺伝子ドライブによる感染症撲滅と環境保全・次世代農業の基盤となるものである。近年、中国でのCRISPRベビー(受精卵で遺伝子編集された双子)誕生と相まって、IHRの存在はゲノム編集分野を二分する大論争となっていたが、本論文によりこの論争も決着した。受賞者のコメント この度は伝統と名誉あるUJA論文賞に頂戴する事となり大変光栄に思っております。どうもありがとうございます。審査員のコメント早野元詞 先生: CRISPRを用いた遺伝子編集、実験動物は研究、創薬開発を加速させているが、その効率性が課題となっている。本研究はRad51を用いた初期胚におけるIHRの促進分子機構の解析や、indel抑制機構の解析にとどまらず、高効率のKI技術を開発している。またBCCIPやRAD51 G151D変異を用いた手法は正確に狭い範囲での遺伝子組み替えを可能にしており、ゲノムの不安定性を誘導しない点においても優れている。将来的に他家の細胞を用いた遺伝子編集細胞の移植、いわゆる効率的なCAR-T細胞の作成などの臨床状のメリットや、実験動物作成の促進など多くの実用性を秘めた技術であると考えられる。課題としては、Rad51などを用いた遺伝子編集促進の基盤技術ではあるが、この技術単体での特許取得や、プラットフォーム技術となることはなく、他のCRISPR技術開発などに依存する。そのため、何らかの技術と組み合わせた実際の応用的PoCに期待したい。赤木紀之 先生: 正常アリルを修復鋳型とし、もう一方の変異アリルを修復するという外来DNA不要の相同染色体間組換えによるゲノム自己修復法は、画期的な方法であると感じました。特にマウス受精卵を利用してその可能性を実証し、交配することなくホモ型個体を生み出すことに成功しています。本研究は生殖医療にも新たな可能性を示すものだと感じました。留学中にこういった研究に携わることで、研究者自身の将来性の広がりも感じる内容でもありました。エピソード この論文は、私が日本で開発したゲノム編集手法をMITに持ち込み、遺伝子改変マウス作製の劇的な高効率化を実現した事に端を発します。そのメカニズムを明らかにする中、時を同じくしてヒト受精卵でのゲノム編集を巡る大論争の勃発、そして中国でのCRISPRベビー誕生と時代が大きく動き、これらの論争に一定の結論をもたらす事ができました。 研究開始からNatureへの投稿までは半年ほどと好調な滑り出しでしたが、その後の厳しい査読と追加実験を経て、翌年却下されました。その翌月、私達の論文を待っていた競合グループの論文3報がNatureに掲載される中、脱落した私達はNature Newsにコメントを求められるという屈辱を味わいました(論文で答えるとして回答は拒否)。その後、エディターとボスの姉妹紙トランスファー圧力を信念で跳ね除け続け、これまた長く厳しい査読、膨大な追加実験と多くの困難をチームメイトと励まし合いながらNatureでの失敗を踏まえて乗り越え、最終的に4年越しでCellに発表する事ができました。この過程で多くの日本人研究者の皆様に助けて頂きました、この場をお借りして御礼申し上げます。本論文はラボのテーマには全く関係のない仕事でしたが、最後にボスが「当初、私にはこれが科学的に重要とは思えなかったが、それは私の間違いだった、最終的に教科書に残る仕事となった。そしてこれはラボのconfort zoneの外から出た初めての論文となった。よくがんばった。」と褒めてくれた事が印象的に残りました。 この仕事を私が日本で行なっていたら、私の当時の力では技術的な論文として中堅誌に出す事が限界だったと思います。私は幸運にも動物でのゲノム編集という当時としてはまだ多くない技術が得意であったため、ラボ内外のボストンの多くの素晴らしいトップ研究者達と仕事をする機会を得て来ました。これらを通じて、いかに問題を設定し、科学的な意義を与え、ボストンスピードで仕事を進め、そしてトップジャーナルに論文を通すトレーニングを積む事ができました。その結果、本論文では技術を科学に昇華させ、問題設定から論文発表までの自分なりの型を確立できたと満足しております。またこの論文発表の過程で、BioRxivでのプレプリント発表とTwitterを中心としたSNSでの議論というアメリカの研究トレンドに加われた事は大きな収穫となりました。査読論文発表までは長期間を要しましたが、早期にBioRxivにプレプリントを発表したため、研究コミュニティに認知され、学会での講演機会を含めて、競合グループと共にこの分野の議論と発展に貢献する事ができたと思います。 トップラボ留学の利点は、例えボスが良く理解できないあるいは興味がない事でも、自由にさせてもらえるボスの度量(注:ボスによる)とそのための潤沢なリソース(主には莫大な研究費)がある事です。私が留学後半年でこの仕事を始めた頃(純粋な中年だった頃)、ボスが年始訓示で「Natureを何十報出したとしてもそれが何になるだろうか。私は難病と戦う子供をたった1人でも治す事ができればそれで満足だ。世の為になるサイエンスをやるのだ。」と述べてラボメンバーを鼓舞しました。さすがNatureを量産してきたMITの教授は説得力が違う、と私は非常に感銘を受け(真に受け)、その後Natureでポジティブな反応ながらも膨大な追加実験を要求された際、本質的でない実験にも相当の資金が必要になるので断念しようかとボスに相談したところ、「研究者人生でNatureに発表できる機会などそうそうない。いくら使っても構わないので必ずNatureに出せ」と言われ、なるほどそういう事かと現実を知る事になりました。この出来事は、私とそのチームのその後の研究スタイル(擦れた中年)確立のきっかけになりました。まとめると、トップラボ(ビッグラボ)はある程度経験がある研究者にとっては自由に研究してハイインパクト論文を量産、次のキャリアに備える楽園である一方、特に大学院生や新人ポスドクにとっては、緊密な指導が期待できない中でプロジェクトの初期設定を自ら適切に行うことが極めて重要になり、その成否により数年後の成果が極端に別れる傾向になります。ボス側の視点から見ると、野心あるポスドクや大学院生を集めて自由に研究させる環境整備さえ成功すれば、放っておいても自分の専門を越えたイノベーションを自動的に連続させられるという事になります。私がボストンで一緒に仕事をしてきた多くのトップラボは、例外なく同様の自由な環境の中でポスドクが活き活きとプロジェクトを主導していました。1)研究者を目指したきっかけ 高校生の時に、後の師匠の1人となる榊佳之先生(当時東京大学医科学研究所及び理化学研究所ゲノム科学総合研究センター)が出演されていたNHKスペシャルを見てヒトゲノム解析計画を知り、複雑な生命がコンピュータープログラムのように記述される時代が来ると衝撃を受けた事です。2)現在の専門分野に進んだ理由 2011年に、Nature Biotechnology誌に掲載された第二世代のゲノム編集技術TALENの特集号を読み、「これは時代が変わる、それまで読むだけだったゲノムを自由に改変できるようになる」と衝撃を受けた事です。同時にこれなら自分でもできそうだと思い、それまでの専門であった神経科学からゲノム編集へと研究分野を変え、高校時代に夢想した事を実際に行えるようになりました。3)この研究の将来性 ゲノム編集(特にCRISPRと呼ばれる第三世代技術)は、まさに神の力を人類にもたらしました。ゲノムをコンピュータープログラムのように自在に操作する事で、これまで治療法のなかった病気を治し、感染症を撲滅し、食糧不足による飢餓が解決され、地球環境が保全されるようになり、人々の幸福と平和に貢献することができます。
Aida Tomomi, Ph.D.[分野12:社会実装]Efficient embryonic homozygous gene conversion via RAD51-enhanced interhomolog repair (ゲノム自己修復法の開発)Cell, Jun 2021概要 ゲノム編集を用いた遺伝子治療は既に臨床試験で大きな成果を挙げ始め、昨日までの不治の病を今日には治療可能にしつつある。一方、現在のゲノム編集医療は、高効率ではあるものの標的遺伝子をランダムに破壊するノックアウト、あるいは比較的正確ではあるものの、修復テンプレートDNAを外部から導入する極めて低効率のノックインが主流であり、これらの手法で治療可能なヒトの疾患遺伝子変異は限られている。このため、様々な変異パターンに対応可能で正確かつ高効率に疾患遺伝子変異を修復する手法が求められている。 我々ヒトのゲノムは父と母から各々受け継ぐ23対の染色体から成り、多くの疾患はこのうち片方の染色体に変異を持つヘテロ型により引き起こされる。本論文において、この点に着目した筆者らは、正常な染色体を修復テンプレートとしてもう一方の染色体上の変異を修復する、外来DNA不要で超高効率のinter-homolog repair(IHR、相同染色体間組換え)によるゲノム自己修復法を開発した。マウス受精卵をモデルとした研究から、IHRが早期受精卵、特にG2後期に存在し、これによりヘテロ型の受精卵がホモ型に自己変換可能である事を明らかにした。そして相同組換え仲介分子RAD51タンパク質によりIHRを増強する事で、標的変異染色体の自己修復効率を最大100%まで高める事に成功した。さらにこのIHRを応用して任意の遺伝子型のマウスを、交配する事なくホモ型に一発変換して誕生させる事に成功した。 以上の成果は、一塩基変異から染色体異常までをカバーするゲノム自己修復遺伝子治療、免疫拒絶反応のないHLAホモ型iPS細胞バンクの構築と細胞移植治療、通常10年単位の長期間の交配を要するホモ型遺伝子改変霊長類の半年での作出、そして遺伝子耐性のない遺伝子ドライブによる感染症撲滅と環境保全・次世代農業の基盤となるものである。近年、中国でのCRISPRベビー(受精卵で遺伝子編集された双子)誕生と相まって、IHRの存在はゲノム編集分野を二分する大論争となっていたが、本論文によりこの論争も決着した。受賞者のコメント この度は伝統と名誉あるUJA論文賞に頂戴する事となり大変光栄に思っております。どうもありがとうございます。審査員のコメント早野元詞 先生: CRISPRを用いた遺伝子編集、実験動物は研究、創薬開発を加速させているが、その効率性が課題となっている。本研究はRad51を用いた初期胚におけるIHRの促進分子機構の解析や、indel抑制機構の解析にとどまらず、高効率のKI技術を開発している。またBCCIPやRAD51 G151D変異を用いた手法は正確に狭い範囲での遺伝子組み替えを可能にしており、ゲノムの不安定性を誘導しない点においても優れている。将来的に他家の細胞を用いた遺伝子編集細胞の移植、いわゆる効率的なCAR-T細胞の作成などの臨床状のメリットや、実験動物作成の促進など多くの実用性を秘めた技術であると考えられる。課題としては、Rad51などを用いた遺伝子編集促進の基盤技術ではあるが、この技術単体での特許取得や、プラットフォーム技術となることはなく、他のCRISPR技術開発などに依存する。そのため、何らかの技術と組み合わせた実際の応用的PoCに期待したい。赤木紀之 先生: 正常アリルを修復鋳型とし、もう一方の変異アリルを修復するという外来DNA不要の相同染色体間組換えによるゲノム自己修復法は、画期的な方法であると感じました。特にマウス受精卵を利用してその可能性を実証し、交配することなくホモ型個体を生み出すことに成功しています。本研究は生殖医療にも新たな可能性を示すものだと感じました。留学中にこういった研究に携わることで、研究者自身の将来性の広がりも感じる内容でもありました。エピソード この論文は、私が日本で開発したゲノム編集手法をMITに持ち込み、遺伝子改変マウス作製の劇的な高効率化を実現した事に端を発します。そのメカニズムを明らかにする中、時を同じくしてヒト受精卵でのゲノム編集を巡る大論争の勃発、そして中国でのCRISPRベビー誕生と時代が大きく動き、これらの論争に一定の結論をもたらす事ができました。 研究開始からNatureへの投稿までは半年ほどと好調な滑り出しでしたが、その後の厳しい査読と追加実験を経て、翌年却下されました。その翌月、私達の論文を待っていた競合グループの論文3報がNatureに掲載される中、脱落した私達はNature Newsにコメントを求められるという屈辱を味わいました(論文で答えるとして回答は拒否)。その後、エディターとボスの姉妹紙トランスファー圧力を信念で跳ね除け続け、これまた長く厳しい査読、膨大な追加実験と多くの困難をチームメイトと励まし合いながらNatureでの失敗を踏まえて乗り越え、最終的に4年越しでCellに発表する事ができました。この過程で多くの日本人研究者の皆様に助けて頂きました、この場をお借りして御礼申し上げます。本論文はラボのテーマには全く関係のない仕事でしたが、最後にボスが「当初、私にはこれが科学的に重要とは思えなかったが、それは私の間違いだった、最終的に教科書に残る仕事となった。そしてこれはラボのconfort zoneの外から出た初めての論文となった。よくがんばった。」と褒めてくれた事が印象的に残りました。 この仕事を私が日本で行なっていたら、私の当時の力では技術的な論文として中堅誌に出す事が限界だったと思います。私は幸運にも動物でのゲノム編集という当時としてはまだ多くない技術が得意であったため、ラボ内外のボストンの多くの素晴らしいトップ研究者達と仕事をする機会を得て来ました。これらを通じて、いかに問題を設定し、科学的な意義を与え、ボストンスピードで仕事を進め、そしてトップジャーナルに論文を通すトレーニングを積む事ができました。その結果、本論文では技術を科学に昇華させ、問題設定から論文発表までの自分なりの型を確立できたと満足しております。またこの論文発表の過程で、BioRxivでのプレプリント発表とTwitterを中心としたSNSでの議論というアメリカの研究トレンドに加われた事は大きな収穫となりました。査読論文発表までは長期間を要しましたが、早期にBioRxivにプレプリントを発表したため、研究コミュニティに認知され、学会での講演機会を含めて、競合グループと共にこの分野の議論と発展に貢献する事ができたと思います。 トップラボ留学の利点は、例えボスが良く理解できないあるいは興味がない事でも、自由にさせてもらえるボスの度量(注:ボスによる)とそのための潤沢なリソース(主には莫大な研究費)がある事です。私が留学後半年でこの仕事を始めた頃(純粋な中年だった頃)、ボスが年始訓示で「Natureを何十報出したとしてもそれが何になるだろうか。私は難病と戦う子供をたった1人でも治す事ができればそれで満足だ。世の為になるサイエンスをやるのだ。」と述べてラボメンバーを鼓舞しました。さすがNatureを量産してきたMITの教授は説得力が違う、と私は非常に感銘を受け(真に受け)、その後Natureでポジティブな反応ながらも膨大な追加実験を要求された際、本質的でない実験にも相当の資金が必要になるので断念しようかとボスに相談したところ、「研究者人生でNatureに発表できる機会などそうそうない。いくら使っても構わないので必ずNatureに出せ」と言われ、なるほどそういう事かと現実を知る事になりました。この出来事は、私とそのチームのその後の研究スタイル(擦れた中年)確立のきっかけになりました。まとめると、トップラボ(ビッグラボ)はある程度経験がある研究者にとっては自由に研究してハイインパクト論文を量産、次のキャリアに備える楽園である一方、特に大学院生や新人ポスドクにとっては、緊密な指導が期待できない中でプロジェクトの初期設定を自ら適切に行うことが極めて重要になり、その成否により数年後の成果が極端に別れる傾向になります。ボス側の視点から見ると、野心あるポスドクや大学院生を集めて自由に研究させる環境整備さえ成功すれば、放っておいても自分の専門を越えたイノベーションを自動的に連続させられるという事になります。私がボストンで一緒に仕事をしてきた多くのトップラボは、例外なく同様の自由な環境の中でポスドクが活き活きとプロジェクトを主導していました。1)研究者を目指したきっかけ 高校生の時に、後の師匠の1人となる榊佳之先生(当時東京大学医科学研究所及び理化学研究所ゲノム科学総合研究センター)が出演されていたNHKスペシャルを見てヒトゲノム解析計画を知り、複雑な生命がコンピュータープログラムのように記述される時代が来ると衝撃を受けた事です。2)現在の専門分野に進んだ理由 2011年に、Nature Biotechnology誌に掲載された第二世代のゲノム編集技術TALENの特集号を読み、「これは時代が変わる、それまで読むだけだったゲノムを自由に改変できるようになる」と衝撃を受けた事です。同時にこれなら自分でもできそうだと思い、それまでの専門であった神経科学からゲノム編集へと研究分野を変え、高校時代に夢想した事を実際に行えるようになりました。3)この研究の将来性 ゲノム編集(特にCRISPRと呼ばれる第三世代技術)は、まさに神の力を人類にもたらしました。ゲノムをコンピュータープログラムのように自在に操作する事で、これまで治療法のなかった病気を治し、感染症を撲滅し、食糧不足による飢餓が解決され、地球環境が保全されるようになり、人々の幸福と平和に貢献することができます。
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