cheironinitiative4月8日読了時間: 5分[論文賞]青井 勇樹/ノースウェスタン大学Yuki Aoi, Ph.D.[分野:イリノイ]SPT6 functions in transcriptional pause/release via PAF1C recruitment(急速分解法による遺伝子転写伸長の新規機構の発見)Molecular Cell, 14-July-1905概要 DNAからRNAへと遺伝情報を転写し、その転写産物を決められた長さにまで伸長する生化学的な反応、いわゆる転写伸長は、遺伝情報を精密に読み取るうえで中心的な役割を果たしています。また転写伸長は、個体発生、がんなどの疾患、そして老化に深い関連がある重要な遺伝子発現過程でもあります。転写酵素RNAポリメラーゼII(Pol II)が、転写開始直後のプロモーター近傍から転写終結に至るまでの数百キロ塩基対にも及ぶ距離を転写伸長し続ける間には、数多くのタンパク因子による制御が関与します。しかし、その詳細な仕組みの多くは未だ不明です。 今回の論文において私たちは、転写伸長因子のひとつ、SPT6タンパク質の機能の詳細を明らかにし、その研究結果を報告しました。この研究をおこなううえで私たちはまず、ヒト細胞内のSPT6タンパク質を数時間以内に迅速に分解除去する実験系を構築しました。つぎに、SPT6を除去した細胞でPol IIによる転写伸長の様子がどう変化するのかを、ゲノム・プロテオームワイドに調べました。私たちの解析で明らかになったことは以下の2点です。1)SPT6が、プロモーター近傍でもうひとつの伸長因子PAF1CをPol IIに引き寄せる機能を持つことがわかりました。さらに、このPAF1Cの引き寄せは転写伸長の制御において、二つの役割を担うこともわかりました。具体的には、プロモーター近傍で頻繁に起きるPol IIの一時停止とその解除を制御するという一つ目の役割、そしてPol IIが最後まで転写伸長し続けられる活性を付与する二つ目の役割です。2)SPT6は、Pol IIにすでに結合していた伸長因子NELFをPol IIから引き剥がし、替わりにPAF1Cを Pol IIに結合させる機能を持つことがわかりました。興味深いことに、SPT6を除去した細胞では、NELFの引き剥がしが起きず、NELFと結合したPol IIが転写伸長するという予期せぬ現象が観察されました。この現象の発見は、従来の仮説であった、NELFと結合したPol IIは転写伸長しないという分子モデルを見直すきっかけにつながりました。 本研究の成果は、複雑な遺伝子発現の仕組みの一端を解き明かすことに貢献しました。いっぽうで私たちは、この研究で得た知見が今後、転写伸長の変化・異常が関与する疾患や老化の仕組みのさらなる解明につながると期待しています。受賞者のコメント 素晴らしい賞をいただけて大変光栄です。審査と運営に関わられた方々に厚く御礼申し上げます。審査員のコメント本間 和明 先生: 遺伝子の転写は生命体の発生と維持にとって根源的に重要な機構であり、その制御不全は発生不全やガンなどに関連し、経年劣化は老化とも関係するとされる。転写の制御は複数の因子の精密な相互作用によるものと考えられるが、転写機構があまりにも生命の維持にとって重要であるために典型的なノックダウン・ノックアウト的な手法が使えず、細胞を用いた包括的な研究は難しい。本研究はauxin-inducible degronシステムの導入によりこの問題を回避した。具体的にはSPT6, PAF1, NELFといった転写調節因子を単独または二つ同時に短時間で潰すことにより、これらの因子が細胞内で転写制御に及ぼす影響をbulk RNA-seq, ChIP-seq, PRO-seq, mass spectrometryを用いて徹底的に調べ上げた。とてもレベルが高い報告となっている。DLD-1というガン細胞を用いた点が個人的には多少気になるが、仮にこれらの調節因子の働きに関して細胞種特異性があったとしても、今回得られた知見の価値自体が損なわれることはないと思う。今後も同様の手法でその他多くの転写調節因子の同定・機能解析が飛躍的に進むことが期待される。渡辺 知志 先生: DNAからRNAを合成する転写伸長を制御する新たなメカニズムを解明した研究である。転写伸長因子SPT6を枯渇させることによる、Pol II伸長やNELF結合、他の伸長因子への影響を詳細に解析している。本研究結果は、転写伸長の異常に関わる老化や疾患の仕組みを解明する基盤となる可能性があり、将来性が期待される。また既に20回の被引用数から、その注目度の高さが伺える。神津 英至 先生: 著者らは、急速分解法と呼ばれる革新的な手法を用いて、転写伸長因子SPT6を細胞から急速かつ選択的に欠損させることに成功した。その結果、SPT6がRNAポリメラーゼIIの正常な転写プロセスに必要な挙動を制御していることが明らかになった。また、この制御機構には伸長因子PAF1CやNELFとの相互作用が関与していることも同定された。この研究によって明らかになったRNAポリメラーゼIIの新たな制御メカニズムは、老化・がん・神経変性疾患などの広範な疾患において、新規治療法開発に寄与することが期待される。飯塚 崇 先生: この論文は急速分解法という手法により、SPT6タンパクのRNApolymeraseⅡの伸長制御メカニズムを報告したものです。急速分解法では短時間でタンパクの分解が生じるため、細胞の短時間での基本現象に与える影響の解析が可能となります。DNAの転写伸長の複雑なメカニズムについて、SPT6とPAF1C、NELFとの関連性を急速分解法を使用したin vitroの実験系を用いて明確に示しており、今後のさらなる研究の発展が期待されます。エピソード1)研究者を目指したきっかけ 学部生の時に遺伝学の研究室で実験の面白さを味わったのがきっかけです。2)現在の専門分野に進んだ理由 遺伝学の分野で博士の学位を取ったあと、ケミカルバイオロジー、エピジェネティクスと分野を広げ、いまの転写伸長の研究にたどり着きました。ちょうど転写伸長の研究を始めたころに、哺乳類細胞での急速分解を用いた実験系が最先端の実験法のひとつとして世界中で使われ始めていました。この実験系が私たちの転写伸長の研究とうまく噛み合い、面白い発見へとつながりました。3)この研究の将来性 遺伝子の転写伸長の仕組みは、白血病などのがんを含む疾患と密接な関わりがあります。さらに老化との関連も近年指摘されています。年を重ねると遺伝子の転写伸長のスピードが速くなるようです。転写伸長の仕組みを深く理解することによって、将来的には疾患に対する新薬の開発や、寿命を延ばす方法の確立などに役立つ可能性があります。
Yuki Aoi, Ph.D.[分野:イリノイ]SPT6 functions in transcriptional pause/release via PAF1C recruitment(急速分解法による遺伝子転写伸長の新規機構の発見)Molecular Cell, 14-July-1905概要 DNAからRNAへと遺伝情報を転写し、その転写産物を決められた長さにまで伸長する生化学的な反応、いわゆる転写伸長は、遺伝情報を精密に読み取るうえで中心的な役割を果たしています。また転写伸長は、個体発生、がんなどの疾患、そして老化に深い関連がある重要な遺伝子発現過程でもあります。転写酵素RNAポリメラーゼII(Pol II)が、転写開始直後のプロモーター近傍から転写終結に至るまでの数百キロ塩基対にも及ぶ距離を転写伸長し続ける間には、数多くのタンパク因子による制御が関与します。しかし、その詳細な仕組みの多くは未だ不明です。 今回の論文において私たちは、転写伸長因子のひとつ、SPT6タンパク質の機能の詳細を明らかにし、その研究結果を報告しました。この研究をおこなううえで私たちはまず、ヒト細胞内のSPT6タンパク質を数時間以内に迅速に分解除去する実験系を構築しました。つぎに、SPT6を除去した細胞でPol IIによる転写伸長の様子がどう変化するのかを、ゲノム・プロテオームワイドに調べました。私たちの解析で明らかになったことは以下の2点です。1)SPT6が、プロモーター近傍でもうひとつの伸長因子PAF1CをPol IIに引き寄せる機能を持つことがわかりました。さらに、このPAF1Cの引き寄せは転写伸長の制御において、二つの役割を担うこともわかりました。具体的には、プロモーター近傍で頻繁に起きるPol IIの一時停止とその解除を制御するという一つ目の役割、そしてPol IIが最後まで転写伸長し続けられる活性を付与する二つ目の役割です。2)SPT6は、Pol IIにすでに結合していた伸長因子NELFをPol IIから引き剥がし、替わりにPAF1Cを Pol IIに結合させる機能を持つことがわかりました。興味深いことに、SPT6を除去した細胞では、NELFの引き剥がしが起きず、NELFと結合したPol IIが転写伸長するという予期せぬ現象が観察されました。この現象の発見は、従来の仮説であった、NELFと結合したPol IIは転写伸長しないという分子モデルを見直すきっかけにつながりました。 本研究の成果は、複雑な遺伝子発現の仕組みの一端を解き明かすことに貢献しました。いっぽうで私たちは、この研究で得た知見が今後、転写伸長の変化・異常が関与する疾患や老化の仕組みのさらなる解明につながると期待しています。受賞者のコメント 素晴らしい賞をいただけて大変光栄です。審査と運営に関わられた方々に厚く御礼申し上げます。審査員のコメント本間 和明 先生: 遺伝子の転写は生命体の発生と維持にとって根源的に重要な機構であり、その制御不全は発生不全やガンなどに関連し、経年劣化は老化とも関係するとされる。転写の制御は複数の因子の精密な相互作用によるものと考えられるが、転写機構があまりにも生命の維持にとって重要であるために典型的なノックダウン・ノックアウト的な手法が使えず、細胞を用いた包括的な研究は難しい。本研究はauxin-inducible degronシステムの導入によりこの問題を回避した。具体的にはSPT6, PAF1, NELFといった転写調節因子を単独または二つ同時に短時間で潰すことにより、これらの因子が細胞内で転写制御に及ぼす影響をbulk RNA-seq, ChIP-seq, PRO-seq, mass spectrometryを用いて徹底的に調べ上げた。とてもレベルが高い報告となっている。DLD-1というガン細胞を用いた点が個人的には多少気になるが、仮にこれらの調節因子の働きに関して細胞種特異性があったとしても、今回得られた知見の価値自体が損なわれることはないと思う。今後も同様の手法でその他多くの転写調節因子の同定・機能解析が飛躍的に進むことが期待される。渡辺 知志 先生: DNAからRNAを合成する転写伸長を制御する新たなメカニズムを解明した研究である。転写伸長因子SPT6を枯渇させることによる、Pol II伸長やNELF結合、他の伸長因子への影響を詳細に解析している。本研究結果は、転写伸長の異常に関わる老化や疾患の仕組みを解明する基盤となる可能性があり、将来性が期待される。また既に20回の被引用数から、その注目度の高さが伺える。神津 英至 先生: 著者らは、急速分解法と呼ばれる革新的な手法を用いて、転写伸長因子SPT6を細胞から急速かつ選択的に欠損させることに成功した。その結果、SPT6がRNAポリメラーゼIIの正常な転写プロセスに必要な挙動を制御していることが明らかになった。また、この制御機構には伸長因子PAF1CやNELFとの相互作用が関与していることも同定された。この研究によって明らかになったRNAポリメラーゼIIの新たな制御メカニズムは、老化・がん・神経変性疾患などの広範な疾患において、新規治療法開発に寄与することが期待される。飯塚 崇 先生: この論文は急速分解法という手法により、SPT6タンパクのRNApolymeraseⅡの伸長制御メカニズムを報告したものです。急速分解法では短時間でタンパクの分解が生じるため、細胞の短時間での基本現象に与える影響の解析が可能となります。DNAの転写伸長の複雑なメカニズムについて、SPT6とPAF1C、NELFとの関連性を急速分解法を使用したin vitroの実験系を用いて明確に示しており、今後のさらなる研究の発展が期待されます。エピソード1)研究者を目指したきっかけ 学部生の時に遺伝学の研究室で実験の面白さを味わったのがきっかけです。2)現在の専門分野に進んだ理由 遺伝学の分野で博士の学位を取ったあと、ケミカルバイオロジー、エピジェネティクスと分野を広げ、いまの転写伸長の研究にたどり着きました。ちょうど転写伸長の研究を始めたころに、哺乳類細胞での急速分解を用いた実験系が最先端の実験法のひとつとして世界中で使われ始めていました。この実験系が私たちの転写伸長の研究とうまく噛み合い、面白い発見へとつながりました。3)この研究の将来性 遺伝子の転写伸長の仕組みは、白血病などのがんを含む疾患と密接な関わりがあります。さらに老化との関連も近年指摘されています。年を重ねると遺伝子の転写伸長のスピードが速くなるようです。転写伸長の仕組みを深く理解することによって、将来的には疾患に対する新薬の開発や、寿命を延ばす方法の確立などに役立つ可能性があります。
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