[奨励賞] 羽場 優紀 / Columbia University
- UJA Award
- 3 日前
- 読了時間: 9分
Yuki Haba, Ph.D.
[分野:生物学・分子生物学・発生生物学・遺伝学]
論文リンク
論文タイトル
Ancient origin of an urban underground mosquito
掲載雑誌名
Science
論文内容
「人間の血を吸う都市型の蚊」その起源は古代エジプトに
進化の定説を覆す国際研究、蚊が媒介する凶悪な感染症の撲滅にむけた重要な一歩
背景
全世界規模で急速に進んでいる都市化は、人間以外の生物にもこれまでにない環境変化をもたらしています。一部の動植物が都市へ適応できた一方、多くの種が絶滅の危機にさらされています。急速に進む都市化にうまく適応できた生物が「なぜ・いつ・どのように適応進化できたのか」を理解することは、他の生物を含む生態系に依存する人間にとっても重要かつ喫緊の課題です。
都市環境への適応進化の代表例として長年注目されてきたのが、チカイエカ(Culex pipiens form molestus)です。チカイエカは「都市型の蚊」で、大都市特有の地下鉄や下水のような閉ざされた狭い空間で交尾・繁殖でき、冬でも休眠せずに活動を続けながら人を探し出し吸血します。ロンドンで第二次世界大戦中にドイツ軍の爆撃から地下鉄に避難した市民が地下に住む大量のチカイエカに悩まされたことから、英語では「ロンドン地下鉄の蚊 (London Underground mosquito)」という別名でも知られています。ロンドンだけでなく東京・ニューヨーク・パリ・モスクワなど世界中の大都市に確認されており、ウエストナイル熱など凶悪な病気を媒介することでも知られています。これまでの通説では、元来人間を刺さなかったチカイエカの祖先種が、産業革命以後の十九世紀以降に都市の地下空間で人間を刺すように急速に進化したと考えられており、「都市化により急速に進化した生物の新種の代表例」あるいは「生物史上稀に見る速さの適応進化の例」として、教科書や学術論文をはじめ新聞や科学誌でも広く取り上げられてきました。しかしながら、その進化の証拠となる遺伝的なデータは驚くほど乏しく、前述の学説は確固たる証拠がないまま流布されている状態でした。
国際共同研究プロジェクト PipPop
今回の研究では、私はCarolyn McBride教授とともに、2018年に国際共同研究コンソーシアム PipPop(Culex pipiens population genomics project)を組織しました。PipPopは北米・南米・ヨーロッパ・アフリカ・アジアに跨がる46カ国・217人の研究者のネットワークを形成し、世界中から800個体以上のイエカの全遺伝子配列を大規模に取得することに成功しました。さらに、ロンドン自然史博物館に所蔵されていた1940〜1980年代の標本(ロンドンの地下鉄やその周辺で採集)の全遺伝子配列を新たに開発された技術で取得することに世界で初めて成功。そのデータを進化・集団遺伝学的手法を用いて解析しました。
結果
我々の解析の結果、「人間の血を吸う都市型の蚊」であるチカイエカはこれまでに考えられていたような都市で過去百年程度に起きた急速な進化の産物ではなく、二千年以上前に古代エジプトや農耕社会で人間の生活環境に適応した結果であることが明らかになりました。ナイル川流域の農耕地や灌漑施設などは、エジプトの乾燥した地域環境で蚊が唯一繁殖できる「オアシス」であり、人や家畜といった哺乳類が密集する環境は蚊に安定した吸血源をもたらしました。このような特殊な環境で、鳥など他の動物を主に吸血していたイエカの祖先種が、数千年の時間をかけて人間を刺す都会型に進化したと考えられます。この結果は、古代エジプトで同じ種類の蚊が媒介する寄生虫が蔓延していたことを示す考古学的記録とも一致します。
意義
今回の成果は、「都市での急速な生物進化」の代表例とされてきたチカイエカの進化を再検証し、その定説を大きく覆しました。イエカのような都市型の蚊の起源は近代の都市ではなく、何千年も前に人類が作り上げた古代都市の環境であり、すでに人間の環境に適応した種がそのまま現代の都市環境へ入り込み「都市型の蚊」として定着したことをあきらかにしました。これは、ネズミ、ゴキブリ、スズメなど、人間社会に数千年前から適応してきた他の生物の進化史とも共通し、近代都市における生物の適応の一般的な法則の理解につながる発見です。
本研究は公衆衛生の観点からも大きな意義があります。人間を刺す蚊の多くはデング熱・マラリア・ウエストナイル熱など凶悪な病気を媒介し、蚊は人類にとって地球上最も脅威となる生物とも言われています。イエカのような都市型の蚊の分布と遺伝的交雑関係を正しく理解することは、蚊が媒介する凶悪な感染症の広がりを予測し、防ぐために欠かせません。今回の成果は、都市で進化しつづける蚊の遺伝的解析を通して、将来的にさらなる都市化がもたらす感染症リスクを考えるうえで重要な情報源となることが期待されます。
受賞者のコメント
この度はこのような映えある賞を受賞することができ大変光栄に思います。プリンストンでの指導して頂いた Lindy McBride 教授、共に切磋琢磨したラボメンバー、そしてこの研究に共に取り組んでくれた 200人を超える PipPop Consortium のメンバーに感謝します。
審査員コメント
岩渕 真木子先生
This is a unique and exciting study that uses population genomics of mosquitoes (bird-biting vs. mammal-biting) as a model for evolution in response to urban environments, with broad implications for understanding adaptive evolution.
渡瀬 成治先生
本研究においては、都市化による急速な生物進化の代表的な例として挙げられてきた「都市型の蚊」チカイエカの進化起源を、大規模なゲノムデータ解析によって再検証し、その従来の定説を大きく覆す結果を得た。この点において高く評価できる。今後、同様の解析を継続して進めることで、人間の活動が生物の進化に与える影響について新たな洞察が得られることが期待され、大いに楽しみである。
髙濵 充寛先生
本研究は、都市地下環境に適応した蚊である Culex pipiens form molestus の起源を大規模ゲノム解析により明らかにし、都市適応が近代に急速に成立した現象ではなく、古代から人為環境に適応してきた進化的過程の延長線上にあることを示しています。これにより、都市化と生物進化の関係に対する理解が深化するとともに、蚊媒介感染症の拡大リスクを長期的・進化的視点から捉える重要性が示唆されました。今後は、疫学的予測の精緻化や、都市化の進展を踏まえた効果的な感染症制御戦略の構築へとつながることが期待されます。
丸山 隼輝先生
本研究は都市環境への急速な進化適応の代表例と考えられていたチカイエカ(Culex pipiens form molestus)の起源を大規模なゲノム解析により評価したものである。ヨーロッパ、北アフリカ、西アジアの広範囲からのサンプリングと全ゲノム配列を解析することでチカイエカは従来案考えられてきた近代の急激な都市環境の変化に伴った進化適用よりも1000年以上前を起源とする形質獲得により後発的に分布拡大したものであることを明らかにした。現在まで支持されてきた仮説に一石を投じる学術的に重要な研究である。
1)研究者を目指したきっかけ
私自身は東京の出身ですが、親の実家が三重県の田舎にあり、子供の頃から自然の中で昆虫を捕ったり、動物に触れあったりしていました。その中で、人間以外の動物でも知的で合理的な行動をとったりするのが不思議で生物にすごく興味を覚えました。中でも、DNAという共通の基本的構成要素をもつ生物はなぜ・どのような仕組みで多様で面白い行動をするのか、進化学と遺伝学、統計学の要素を組み合わせた集団遺伝学に強く惹かれ、大学院以降その研究にのめり込みました。
2)現在の専門分野に進んだ理由
日本の大学学部で生物の行動の研究を進めるうち、同じ「行動研究」という括りであっても、メカニズムを追求する分子生物学・神経学のような「ミクロな生物学」とプロセスを探求する進化生態学のような「マクロな生物学」の間に大きな分断があると感じました。そこで、この間の壁を積極的に横断しようとする取り組みがあるアメリカで研究したいと感じ渡米しました。今は昆虫(蚊)から哺乳類まで(ハダカデバネズミ)種を選ばず、また進化から分子まで分野横断的に、行動の進化の背景にある普遍的なルールを解き明かすことを目指して研究しています。
3)この研究の将来性
今回の成果は,「都市での急速な生物進化」の代表例とされてきたチカイエカの進化を再検証し,その定説を大きく覆しました.イエカのような都市型の蚊の起源は近代の都市ではなく,何千年も前に人類がつくり上げた古代都市の環境であり,すでに人間の環境に適応した種がそのまま現代の都市環境へ入り込み「都市型の蚊」として定着したことを明らかになりました.これは,ネズミ,ゴキブリ,スズメなど,人間社会に数千年前から適応してきた他の生物の進化史とも共通し,近代都市における生物の適応の一般的な法則の理解につながる発見です。
本研究は公衆衛生の観点からも大きな意義があります.人間を刺す蚊の多くはデング熱・マラリア・ウエストナイル熱など凶悪な病気を媒介し,蚊は人類にとって地球上最も脅威となる生物とも言われています.イエカのような都市型の蚊の分布と遺伝的交雑関係を正しく理解することは,蚊が媒介する凶悪な感染症の広がりを予測し,防ぐために欠かせません.今回の成果は,都市で進化しつづける蚊の遺伝的解析を通して,将来的にさらなる都市化がもたらす感染症リスクを考えるうえで重要な情報源となることが期待されます.
留学や研究生活にまつわるエピソード
プリンストン大学のEcology and Evolutionary Biologyの博士課程の門を叩いたのが
2017年.蚊の行動の進化研究に大規模遺伝子解析・神経学的解析をもち込んで道を切り
拓くLindy McBride教授の研究に魅せられ,ラボでまだ誰も手をつけていなかったイエ
カ(Culex pipiens)の系をLindyとともに1から立ち上げました.Urban Evolutionary
Biologyの教科書や総説に常に出てくるチカイエカ(molestus)の進化の通説が間違っ
ているらしいことにはすぐ気づいたものの,「extraordinary claims require extraordi-
nary evidence」.通説を覆すためには確固たる証拠が必要でした.世界中から蚊を集め
るため,Culex pipiensに関するあらゆる論文の著者たちに片っ端からメールし,共同研
究を申し込みました.結果,学会での口コミやインターネットを駆使して4年をかけ200
人を超える国際コンソーシアムに発展し,50カ国から12,000個体の蚊を集めました.
選び抜いた800個体の全ゲノムデータに加え,ロンドン自然史博物館に眠っていた標本
のゲノムもサンガー研究所のチームと読み解き,チカイエカの古代エジプト起源を示す
ことができました.現在は分野を大きく変え,コロンビア大学ザッカーマン研究所にて
ハダカデバネズミの社会行動の神経基盤を研究しています.動物の多様な行動の進化に
魅せられ,その背景にある普遍的法則を探す旅は続きます.



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